2008/06/15/024251
移動中
考えが重なる時がよくある。
秋葉原、トヨタ、引き返し不能地点からさらに進むこと - ish
だから、移動と旅だけがリアルです。
あの事件については何も書くことはなかったが、この記事に触発されて最近考えていることを書く。
移動だけがリアル。まさに。
目的地に着いてしまうのは嫌だ。怖い。物足りない。出発するのも怖い。面倒だ。無駄に思える。だから出発も到着も、その瞬間はいつも無意識で。
会社にいようが家に独りでいようが、どっかに出かけて人に会っていようが、常に何かしていないと全てを無駄にしているようで怖くなる。焦る。最近はボーっと寝ているだけの日も、なんとなく自分の中で許容できるようになったとはいえ、どっかにジリジリとした焦りはある。
だが、移動中は焦りがない。移動中はとてつもなく落ち着いている。移動中だけが安息だと最近気づいた。人生や生活を旅にたとえた移動ではない。生活の中での単純に物理的な移動だ。車は今は全く運転する機会がないので、歩きや自転車、電車によるもの。
中でも特に電車が落ちつく。無論普段の通勤における満員電車を除く。休日、適度に空いた各駅停車に、行く先があるのかないのかわからないまま飛び乗って、どうせ秋葉原あたりでブラブラしながらPC・パーツ・家電を見るのだろうと薄々感じながらiPodの曲をシャッフルさせ、ふぅと息をつき足をちょっとマナー的に、ってくらい伸ばしてケツのポッケに入ったハヤカワSFの続きを読もうかそれともこの気だるい午後の空気感と厳密には出発地も不明な逃避行を純粋に愉しむためにiPodもオフにしてただボーっとして、過ぎる景色や斜め前に座る家族連れの牧歌的雰囲気を眺めて概ねいい意味での嘆息を吐くかと迷う時のあの感覚。
電車はダイヤをまもるから、その速度変化や運行状況に対する責任を自身が負わなくて済む。事故等で遅れる可能性はあるものの、とりあえず乗っていれば座っていれば進む。そして恐らく目的地かその代替地に着くはず。そういう信頼。安心。とりあえず俺はどこかに向かっている。進んでいる。無駄に時を浪費していない。そのはずだと思える唯一かもしれない時空。
ずっと乗っていられればいいのに。降りなくてもよければいいのに。昼夜を問わず永遠に止まらない環状線の車内で産み落とされ、一度も駅に降り立たない人生を夢想する。